選挙に出るなら反省しろ!
宇都宮日弁連の差別意見書
宗像 充
(並木道の会「並木道」113号、2012年11月25日)

宇都宮日弁連差別意見書

 都知事選がある。ぼくは運動にあれこれかかわっているので、当然前日弁連会長の宇都宮健児を応援するものだろうという見込みのもとに、メールや電話でいろいろと声がかかる。左派系の統一候補で、知名度もある程度ある宇都宮氏への期待は高いようだ。対抗馬は散々在任中に痛い目を見させてくれた石原の後継の候補なので、応援したい気持ちはある。最近知ったけれど宇都宮氏とは同郷でもあるので親近感もないでもない。彼が最初の日弁連の会長選挙の最中、ぼくが共同親権法制化の陳情で議員会館の議員の事務所で偶然会って、名刺を交換したこともある。その後、ぼくたち別居親の会にわざわざカンパしてくれた。いい人なのだろう。

だけど、こと、彼が日弁連会長に在任中に表明した日弁連の意見書については、ぼくは他の運動からことごとく無視されながらも、しつこく批判してきた。なぜならそれが差別意見書であるからだ。そのときのことがあって素直に応援しようという気にならない。その意見書は「国際的な子の奪取の民事面に関するハーグ条約」についての2011年2月18日付けの日弁連の意見書だ。海外から日本に連れ去られた子どもを海外に返還しなくていいということを言うためのいろいろな理由を並べていた。ハーグ条約とは国境をまたいでの親による子の連れ去りについて、子どもが元いた国の裁判所で子どもの監護権について決めるべきだという考えのもとに、その返還義務を締約国に課した条約である。背景には、親どうしの離別後も、子どもにとっては両方の親とのコンタクトが維持されるのがよいという考えがあって、条文には返還に関することだけでなく、面会交流についての規定もある。

日弁連の意見書は、ハーグ条約適用事例における例外事例を、「子どもの最善の利益」の観点からなるべく大きく扱い、事実上返還に応じる案件を限定することに主眼が置かれていた。結果、こういった観点を国内担保法の制定に際しても盛り込むことによって、国内の連れ去り・留置の問題についても同様の法整備や運用解釈がなされてしかるべきという結論になる。この意見は、連れ去りが横行し、連れ去ってしまえば裁判所で現状が肯定されて、連れ去られた側の親権が剥奪されるという、「先に取った者勝ち」の「ジャングルの掟」がまかり通る現状を肯定する。つまりそれはぼくたちのような引き離された親子を今後も排出し続けるという日弁連の決意表明だった。

ハーグ条約については、単独親権から共同親権に移行したアメリカをはじめとした国々からの強力な加盟圧力が日本にかけられる中で、日本政府がすでに加盟を結論づけたものだ。黒船が浦賀に来ている中で、現状維持の攘夷派と、外国勢力の力を借りて国内の変革を進めようという開国派が対立していた。別居親の多くはこの「外圧」に期待していた。日弁連は開国やむなしとは思いつつも、本音は攘夷だった。ぼくの所属する別居親グループは、条約の理念は肯定しつつも、別居親子の原則交流を確立して共同養育を保障する法整備がなされなければ根本解決にはならないと、条約加盟には慎重だった。「法律が変われば子どもに会える」と焦る別居親が多い中で、この態度は別居親団体としての筋を通したものだった。日弁連とは慎重という点では同じだったけれど、理由はまったく違う。

この条約についての意見がメディアにあふれたとき、海外でDV被害にあった母親の安全が確保されないという議論が始まった。それが日弁連をはじめとした加盟に慎重(というか反対)な人たちの主な意見だった。ぼくは子を海外から国内に連れてきた母親たちの立場がまったく同情に値しないとは思わない。しかし母親の側の懸念がありさえすれば、子を元いた国に返還しなくていいとも思わない。逆にたとえばアメリカのDV施策は日本に比べればよっぽど刑事介入が積極的だ。先日、日本人の外交官がアメリカでDVを理由に刑事裁判にかけられていた映像がテレビで流れた。DVの加害者はアメリカではああなるというのがよくわかる。もちろん、海外から子どもを日本に連れ去られた、多く父親全員がDVの加害者であることもありえない。当時のあからさまなネガティブキャンペーンでは、海外の子どもを連れ去られた父親たちはことごとくDV加害者にされていた。現在は日本大使館のホームページの在アメリカ大使館のところには、連れ去りが刑事罰であることを警告するとともに、海外でのDV施策やそのアメリカでの援助の存在を紹介している。日本がハーグ条約に加盟していないがために、とりわけ日本人にとって不利な親権争いを海外の裁判所でした母親の話を直接聞いたことがある。もちろん子どものことを考えてのことだ。

日弁連の意見書には、「ハーグ条約に遡及的適用がない旨の確認規定を担保法上定めることや、国内における子の連れ去り等や面会交流事件には適用されないことを担保法上明確化し、かつ周知すること」という項目がある。そもそもこの条約は国家間の子の奪い合い事例を想定しているので、こういうことはわざわざ言わなくてもいいことだ。しかし外国人には子を返還しても、絶対に日本国内のケースにおいてはそれを適用させたくない。その上、ハーグ条約をきっかけに、現在よりも面会交流が促進されたらかなわないという本音が見て取れる(実際は面会交流を裁判所に申し立てても半分は認められないし、認められてもそのうちの半分程度しか月に1回2時間程度しか認められない)。開国やむなしと考えた攘夷派が自ら提示した「不平等条約の勧め」だった。日本に住む別居親というのは、国際的な理念のらち外にも置かれるべきだという、それが日弁連の強固な意思だった。

書いた本人たちは否定するだろうけれどこれは明らかに国籍差別だ。正確に言えば日本に住む国内で引き離された外国籍の親も含むので、日本在住の別居親差別といえる。条約に加盟することでわざわざ低い地位を新設すべきだという。よほど日弁連にとって、ぼくたちは「害虫」のように映るらしい。たとえ現状を維持したいと思っていたとしても、このようなことは言うべきではなかった。開国派の意見が政治的でないとは言わないにしても、この意見書もまた国内の片親疎外の問題から目をそらさせるための政治的な意図が背景にあり、その前提には別居親子の関係などどうでもよいという前提がある。要するに「不純」なのだ。そしてそのときの会長が宇都宮氏だった。彼がこの意見書を率先してとりまとめたとは思わない。しかし組織の長としての道義的な責任は免れない。だいたい片親疎外の解決が議論になると、総論賛成各論反対で、日本語に翻訳すると「どうでもいい」という人が多い。それを「子どもの最善の利益」で説明するのだから罪深い。

 ぼくは質問状に以下の文面を書いた。

 

「日弁連意見書」に前後して、二つの弁護士会から同問題について日弁連同様さまざまな懸念を表明しつつも、違う観点から会長声明が出されました。

兵庫県弁護士会は、「日本がこの条約を批准することは、我が国において、子どもの権利及びDV虐待被害者に対する保護として、関係者らの多年に渡る努力によって保障されてきた水準を著しく損なう結果になるおそれがある」と述べました。他方、大阪弁護士会は、「特に、日本から子が連れ去られた場合にハーグ条約を利用して返還を求める必要性を考えれば、ハーグ条約全文及び21条の面会交流権に対応して、日本法の中に面会交流権の根拠規定を設けるべきである。」と述べています。

この点に関連して兵庫県弁護士会は、外務省調査の結果を引きながら「現在の立場でハーグ条約を批准した場合、子の返還数と返還を受ける数の間には大きな格差があることにも留意する必要がある」と触れています。

私たちは、こういった見解のどれが正しいのかここで述べるつもりはありません。しかしながら、弁護士の皆様方の議論が、数の大小で比較したり、現在のDV虐待施策の水準の維持と面会交流の促進を天秤にかけ、政策的な観点からのみなされていることについて、私たちが日常的に接している弁護活動もこのような姿勢でなされているのかと思うと、多少とも残念な思いがしないではいられません。

 

「宇都宮よ、お前もか……」と思った。

 

彼が知事になって、東京都の施策で同じ態度で振る舞うのだろうか。条約は返還において厳格で、それに対する日本の担保法案は例外の考慮条項をわざわざ組み入れている。結局力関係による政治的な手打ちをして、原則交流が子どもの利益だというハーグ条約の理念を曖昧にした。日弁連の差別意見書はその議論において大きな役割を果たした。しかし遠くに連れ去って行方をくらますしか安全が確保されないというならば、それは日本の現在のDV施策が暴力防止の観点から課題があることを表明しているにすぎない。片親疎外と家庭内暴力の防止はそれぞれ解決すべき別個の問題である。

ハーグ条約に加盟していない国はたくさんある。しかしなぜ日本だけが多くの国から批判されるかといえば、日本だけが政府が関与しての主体的な子の返還をただの一度もしたことがない国だからだ。日本という国はとりわけ離婚後の親子関係に冷淡なのだ。だから批判される。

 

ぼくは会名義でこの意見書について、15項目にわたる公開質問状を会長の宇都宮健児宛に提出した。どうせ回答は来ないだろうと思って、日弁連に取りにいった。事務の女性が出てきて紙を渡した。事務総長の海渡唯一名義で「当連合会の意見は、上記意見書にて述べており、御質問については、回答いたしかねますので、何卒ご理解の程お願い申し上げます。なお、御質問いただいた点については、今後の参考とさせていただきます」とあった。ぼくはその場で、このような文面は回答になっていない、と強く抗議し、受け取りを拒否した。
 意見書の内容について質問したにもかかわらず、それについては意見書で述べつつ理解を求める。「質問すること自体がおかしい」というのと同じだ。質問項目の中には、日弁連のハーグ条約についての態度が過去と変わっている理由について問うているもの、条約適用の3年の周知期間について根拠を聞くものなど、すぐに答えられそうなものも含んでいた。こんな簡単な質問にも答えようとしない。意見を変えて根拠もなく先送りの願望を述べただけだからだ。

日弁連の受付前のロビーでなめくさりやがってと怒りを爆発させた。「あなたがたは答えるに値しない」というわけだ。「興奮しないでくださいよ」と事務の女性が言っていた。なまって「あらるうか」と通じないとはわかってもしゃべり倒した。まったく「あっちあられん」。

 

もともと日弁連の中では、共同親権を推進すべきというグループもあって、議論が割れている。親子の生き別れに日々出会う中で、何とかしたいという弁護士も多いのだ。そんな弁護士から問い合わせが個別に来ることもある。一方で、宇都宮氏が会長に就任した直後、日弁連の「両性の平等委員会」が主体になって開いた2010年5月15日の日弁連シンポジウム「離婚後の子どもの幸せのために~面会交流、養育費を中心として~」では、主催者は、しんぐるまざあず・ふぉーらむのアンケートを挙げ、監護親が面会交流に消極的な理由を説明していた。DVや虐待、子への無関心、養育費不払い、監護親の再婚、そしてはらいせ、いやがらせ……。

両性の平等委員会副委員長の、吉田容子氏が、「『はらいせ、いやがらせ』といっても理由があるんですよね」とわざわざ言っていた。理由があったら「はらいせ」で子どもから親を引き離していいと、ご丁寧に解説する。養育費の不払いが「はらいせ」だったとしても理由があるだろう。理由があれば子どもが貧困に苦しんでもいいというのだろうか。もちろん、吉田氏の言い草は、往々にして世の中で通じてきたものだ。だからといって、日弁連を代表して、そういう理屈が通じると表明しているのが驚きだった。別にぼくも自分が運動しているからといって、子どもや元妻にいいことしたとは思っていない。また、別居親の中にも一方的な人ももちろんいる。とはいえ、こんな困難な状況であっても子どもに会うのを諦めない親たちを、ぼくは異常な人ばかりとも思わない。

討論のパネリストは、DVや虐待の被害者支援に携わってきた人たちだった。「虐待している親やDV親はとても子どもに会いたがる」、「引き離された親の心情としては、欲求充足のための子どもとの面会ではないかと『思える』」、「よりを戻すために子どもに会いたがっていると『思う』。そういう場合にはどうすればいいんでしょうか」という「専門家」の発言と懸念が続いた。知恵を出し合おうという気すらない。

わかんないんだったらぼくたちに聞きに来ればいい。子どもに会えなくなる恐怖感は相当なものだ。怒りと憎悪と失望で自暴自棄になる親もいる。別居親のグループの存在は自殺の防止にも暴力の防止にも役立っている。離婚したからといって親子関係を諦めなくてもいいという社会認識が広がる中で、「どうすればいいんでしょうか」と脳天気に壇上で井戸端会議をしている場合か。別居親へのレッテル貼りぶりにぼくはうんざりした。このシンポの半年後、日弁連は「共同親権の展望」というシンポを開催している。ハーグ条約の日弁連意見書は、こういった日弁連内部の意見対立の後に出されたものだ。

 

質問状の回答の受け取りを拒否した後、日弁連には後日、責任ある立場の人と会わせてほしいとわざわざ要望書を作って申し入れた。回答期限に弁護士会館に行くと、担当の事務次長の、鈴木啓文氏と市毛由美子氏が出てきた。こんなトンデモ意見書を出して会長も出てこない。

以前の質問書について何か答えてくれるのかと思ったら、なんでも前日にいろいろ内部で議論したけれど、結局まとまらなかったのだという。「私たち何も言えないんです」という二人の弁護士を前に、「ダメだこりゃ」と思った。

ぼくが聞きたいのは「あなたの考え」なのだから。応援したいのは山々だけれど、宇都宮氏からはそれが聞けなかった。がっかりだ。