9月5日、東京地裁立川支部で
交流妨害に対する損害賠償の裁判がありました。
訴えたのは国立市の宗像充さん。

裁判では、
「子どもを会わせる」という約束をした上で
子どもを引き取った母親と、
その後子どもたちを一方的に養子にし、
共謀して交流妨害を行った養父の責任を問うています。

子どもの権利条約では、すべての養子縁組に
裁判所の許可と、親や関係者への聴取が義務ずけられており、
親権者の代諾により養子縁組がなされる日本の連れ子養子制度は、
国連から是正の勧告を受けています。
しかし、単独親権制度を守るために、
この制度は存続させられています。

今回の裁判では、子どもの権利条約に照らして、
母親だけでなく、養父も親権者として、
親との交流を保障する責任があることを法的に問うています。

裁判前には、原告の宗像さんが、裁判所前で
仲間とともにアピールしました。
裁判では、傍聴者が20人近く入り、
小さな法廷が満席になりました。
kネットも支援しています。
新聞社の取材も2社入りました。
裁判では、宗像さんが意見陳述をしました。(以下参照)

被告らは代理人も含めて擬制陳述で裁判を欠席しました。

今回、被告らは、子どもの聞き取りの可能性があるため、
子どもたちが住む千葉で裁判をするようにと移送の申し立てをしました。
東京高裁は、この申立を、「子どもの心情を考慮せよ」と
却下し、裁判の開始が半年も遅れました。
会えない状況で、子どもが法廷で「会いたい」なんて
言うこと自体が非現実的だからです。

結局、遠い立川で裁判をやるのが面倒で
そのために子どもを理由にした、というのが
今回の被告側の欠席で明らかになりました。

また、被告代理人は、移送申立に対抗した宗像さんが、
裁判を長引かせていると言っていましたが、
欠席しているのは被告ですから、
裁判進行を妨害する理由があるとしたら被告側です。

次回の裁判は
【10月17日午後2時~、立川支部408号法廷】です。

以下は宗像さんの意見陳述です。
(一部、固有名詞を置き換えています)

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【陳述書】

東京地方裁判所立川支部 御中
2014年9月5日
宗像 充

 
 今から7年前、私一人で二人の娘を育てていた際、
突然の人身保護請求で東京高裁に呼び出されました。
こちらが説明する間もなく命令を出すと
裁判官の石川義則さんは言いました。
そうなると子どもたちは遠い九州に移されます。
「子どもたちにとって国立の町が生まれ故郷です。
子どもたちのふるさとを奪わないでほしい」
と私が述べると、
「それは関係ない。裁判官にも異動があるんだから」と
石川さんは言いました。
加えて、「親権者が返せと言ったら返すのが常識」
「あなたも一橋の法学部を卒業しているからわかるでしょう」。
それが理由でした。

 この7年間、何度か裁判所に子どもたちと過ごす
時間を増やすように提案しました。
東京高裁がそうするように述べていました。
調査官さんも今は最低でも月に1回は会わせないと
被告らを説得しましたが、被告らは応じず、
裁判官さんたちはなかなか理解を示しませんでした。

 今、<下の子>は私と会うと、
駅前の本屋で1冊だけ本を選び、
私が与える1000円のお小遣いで、鉛筆がいいか、
付箋かぬいぐるみかカチューシャを買うか頭を悩ませ、
通りかかったゲームセンターでいっしょに太鼓を叩き、
野外にも行きたいので谷津干潟までバスに乗って
バードウォッチングをし、いっしょにかけっこをし、
塗り絵をし、木工工作をし、カメラで鳥や花の写真をとり、
ビジターセンターでいっしょに食事をし、
もう一度バスに乗って駅前の雑貨屋に戻って、
1000円を使い果たして、駅の改札でバイバイをします。
これだけのことを4時間でやっています。
そんなあわただしい中でも笑顔で私に接してくれる娘を誇りに思います。

この数年間、2人の子どもたちと会っても、
私のことを「パパ」と呼ぶことは禁じられている、と漏らしていました。
男の自分は子どもを産めません。<上の子>とはじめて会ったことと、
<下の子>の出生を見届けることは、何も変わりなく、
その際この子の父にもなろうと決めたのですから、
今も私はそうしているだけです。

子どもにとっての離婚とは、家が二つになること。
親は離婚し再婚することができますが、
子どもが離婚や再婚をするわけではない。
「他人様の子どもをあずかっているわけですから、
親が会いたいと言ったら会わせないと」というのが私の側の常識でした。
家庭裁判所には2週間に1回、宿泊付の交流を求めてきたにすぎません。
この回数は私が子どもたち2人を育てていた際に、
相手方が行っていた交流の頻度です。
相手方が7年前に、当時調停委員が説得した通り、
自分がやってきたのと同様の交流の頻度を子どもたちに与えていれば、
今こうして私はここに立っていなかったでしょう。

私は子どもたちにふるさとを取り戻そうと願ってきただけです。
子どもたちは安心できる人と場所に帰り、
ふるさとを持つ権利がありますし、
それがこの先の人生で子どもたちが
ピンチを切り抜ける基盤になると信じます。
世界中どこにだって行けるのに、
国立に一歩も足を踏み入れられないなんて
おかしなことだと思いませんか。

法的な親権の有無は、子どもたちにどのような意味があったでしょうか。
親の法的身分が変われば、子どもはそのことで親から
愛情を受ける機会を失うというのは、
親の選択のしわ寄せを子どもにしているということです。
実の親に会わせる継父と会わせない継父と、
どちらを子どもたちは慕い尊敬しますか。
私の法的な身分は何も変わっていないのです。

私は<上の子>とは2年半、<下の子>とは2年、
いっしょに暮らし育児全般に携わってきました。
その後数ヶ月ですが子どもたち2人と3人で
いっしょに暮らしたのはその延長にすぎません。
私が子どもたちを引き受ける際、<元妻>は、
「<上の子>のお父さんは誰なのか」と聞かれて私の名前を挙げました。
私が子どもたち二人を引き受けるのは当たり前のことでした。

人身保護命令で子どもたちに裁判所の命令で
福岡に行くことを告げたとき、
<上の子>は全身に蕁麻疹が出ました。
しゃべれない<下の子>は首を何度も振っていました。
<下の子>は福岡に行ってから外出を怖がったと言います。
どれだけ父親不在の状況に不安と寂しさを感じたか、
自分たちの判断がどれほど子どもたちの心を壊す
ことになりうるか、裁判所のみなさんは想像したことがありますか。

人間は動物はありません。
他の親をあてがい、新しい環境に慣れさせ、
うるさい親には犬にエサをやるように
会わせればよいということではないのです。
国に子どもから親を奪う権利なんかありません。

親子断絶の期間で、親と過ごす思い出を作れず、
将来つらい思いをするのは子どもたちです。
約束があるはずなのに、突然親不在の状況に投げ込まれ、
子どもたちは自分たちが罰を受けたように感じませんか。
それは2人の成長にとってとてつもなく大きな損害です。
そんな中、<上の子>が会いに来なくなるのは当たり前のことで、
<下の子>が一人でやってくることで
出す勇気はいかばかりか想像してください。
「会いたくない」と言いたくもなるでしょう。
私のことを「パパ」と呼んでくれる人は、地球上で誰もいないのです。

私への損害の補償で、子どもたちが親を慕う気持ちがあるのは
当たり前のこと、と裁判所は子どもたちに
メッセージを送ることができます。
今回の裁判では<下の子>のことが主要な争点になったとして、
<下の子>が私との関係を維持し、
親を知る権利があると知れば、
<上の子>も同様の権利があるというメッセージも、
彼女に届くでしょう。
私だけでなく、今は会えないお父さんにもきっと会いに行ける、
という勇気も得られます。
二人に、自分の親にも今いる家族にも愛されていいんだよ、
というメッセージも送れます。
裁判所はそれができます。
私は被告らの家庭に関与する気はありません。
再婚で子どもたちに親が増えていくのなら、
それはそれで素敵なことです。

私が大学の法学部で身に着けた唯一のことは、
「人のために法がある」ということで
「法があって人が守る」ということではありません。
子どもたちにふるさとを取り戻すことに協力してくださいませんか、
よろしくお願いします。