2017年5月5日(祝)、子どもの日、共同親権ネットワーク(以下、Kネット)主催の講演会『誰のための親子断絶防止法案?〜共同親権に断絶促進法はいらない〜』が、文京区湯島の全労連会館にて行われ、約40名の参加者が集まりました。


 

 

 

 

メイン講演は、福田雅章さん(一橋大学名誉教授)による特別講演「ぼくとわたしはどうなるの?  親子断絶防止法の盲点」。福田さんは法学者であり、子どもの権利に関する国連特別総会の日本政府代表団顧問を務めた、日本における子どもの権利条約の権威。昨今メディアを賑わす親子断絶防止法に、どのような見解を示されるか、注目が寄せられました。


 

 

 

 

冒頭、Kネット運営委員の宗像さんより紹介を受けた福田さんは、司会者からのプライベート質問を受ける形でアイスブレイク。茶目っ気たっぷりに、若き日のエピソードを披露し、和やかな雰囲気の中で講演会はスタートしました。子どもの権利条約の本質について、福田さんの示唆に富んだ講演が始まると、多くの参加者がメモをとりながら聞き入りました。
近代の人権論への問題提起から、福田さんは語り始めました。世の中で最も大切なものとは?カネやモノや地位を手に入れたとして、一人ぼっちの人生は、豊かなものと言えるか。他者と共生し、共感しあうことができて、初めて私達は幸せを感じられるのではないか。
近代では、人間は理性的存在と定義され、他人に左右されず自分の道を歩むことが個人の尊厳にかなうとされてきました。その結果、他者と愛し愛されたいという動物的・本能的な欲求は捨てられてきた、と福田さんは言います。そして、子どもの権利が、近代的人権論の延長線上で捉えられている風潮を、次のように批判しました。
大人でさえ、仕事が嫌になったり空腹になったりすると、本能的な欲求を感じる。まして、社会的ネットワークを持たない未熟な子どもにまで、理性的であることを求め、自らの力だけで人生を切り開くよう求めるのか?失敗したからといって、子どもに自己責任を負わせるとしたら、あまりに殺伐とした社会ではないか。福田さんは、大人と同じように子どもに自己決定・社会参加を求めるべきではないと強調。子どもを大人と対等な権利行使の主体として認めるべきだとする考え(自己決定論的解釈)を批判しました。
子どもの権利条約の素晴らしい点は、近代的人権論では説明できない、人間の動物的な本能に価値を認めていることだと、福田さんは言います。子どもの権利条約は、子どもが愛される地位にあり、身近な大人と関係を持つことで固有の尊厳や成長発達の権利を保障されると認めています。この「愛される権利」を子ども自身が実現するために、子どもには「ねぇ、ねぇ」と大人に愛着行動を示す力を「意見表明権」として保障し、大人には「なーに?」と受容的に応える義務を課しているのです。意見表明権は、「ねぇ、ねぇ」顔をこっちに向けてよと呼びかけることによって親等との間に「受容的な応答関係」をつくる権利だったのです。それを通して子どもは生きるための本能的欲求を充たしてもらい、自分の問題の解決に向けて主体的に参加しながら対応してもらえるのです。この福田さんの関係論的解釈は、国連の子どもの権利委員会により、子どもの権利条約のGeneral Comments第7号にも部分的ではありますが採用されています。

ところで、両親が係争中の別居家庭では、子どもが別居親に会いたくないと発言するケースがあります。自己決定論的解釈では、子どもの発言そのものを尊重し、別居親と会わせないことを是認し、その責任を子どもに負わせます。日本で暗躍するアマゾネス弁護士は、子どもに自己責任を負わせ、同居親が元パートナーとの関係を一切絶って人生を歩むよう促します。そこには、子どもの視線は一切ありません。
一方、関係論的解釈では、子どもの「会いたくない」という発言は、大人への愛着行動である「ねぇ、ねぇ」に当たります。大人は、「なーに?」と応答する義務を負います。現実的に危険の及ぶDV・虐待など、面会交流が子どもの利益に明らかに反する場合を別として、何故子どもが会いたくないと言っているかを一緒に考え、疎外要因を除去・緩和するよう、大人は努力を求められます。
昨今、子の監護や面会交流を巡る事件が激増しており、今後離婚事件は弁護士業界の花形になっていくと言われます。代理人が依頼者である父母の利益だけのために活動することは許されず、訴訟外の存在である子どもが成長発達できるように、司法、行政、実父母といった大人たちが協力しあう制度にしていかなければならない、と福田さんは提言しました。

親子断絶防止法については、推進側から開示された情報が少なく、2016/12/13付修文案への表面的な所感であることを前置きした上で、福田さんは二点の懸念を述べられました。
一つ目は、子どもの意思が面会交流の制限事由として使われる可能性が十分にあること。法案の第三条には、子どもが意思を表明していない場合でさえも、司法が子の意思を強引に聞き出そうとする運用を行いかねない文言が含まれていると、福田さんは指摘しました。
二つ目は、同居親やその代理人が暴力や虐待のおそれを申し立てるだけで、面会交流が制限される可能性が十分にあること。諸外国では、明白に現実的な危険が起こりうる場合を除き、治療プログラムの提供などを含め別居親と子どもとの関係維持を図っていくところ、同法案の第九条にはそのような手当てを考えた文言は見当たりません。
親子断絶防止法の賛成側と反対側が、十分に意見を交わすことなく、拙速にいずれかの立場を立法化しては子の利益に適わない。より緻密かつ総合的に「子どもの権利」の視点に立脚した法制度を、関係者全員が議論して着地することが重要、と福田さんは総括しました。

次に、北九州私立大学准教授のさんがマイクを持ちました。オーストラリアの地域研究を専門とする濱野さんが、現地の別居家族の子ども養育事情について、興味深い近況を語りました。

 

 

 

 

 

オーストラリアでは、1975年の家族法成立当時、親権(Custody)という単語を廃止し、親責任(Parenting Responsibility)という言葉を使うようになった。離婚後の元パートナー同士が親の権利を主張するのではなく、子どもの視点に立って協力すべきとの基本理念の表れで、このコンセプトは現在まで一貫して変わっていないと、濱野さんは言います。
最近日本では、オーストラリアが共同養育に失敗したかのような記事が出ました。しかし、濱野さんによると、失敗を重ねながらよりよい共同養育のあり方を模索しているというのが実態とのこと。例えば、かつて共同養育における両親の負担割合を5:5と設定していたところ、かえってコンフリクトが生じやすいことが明らかとなり、子どもの成長過程や家族関係の変化に応じて、柔軟的に振り分けを見直すシステムが検討されているそうです。
子どもの権利条約の趣旨が、オーストラリアの制度運用には確実に盛り込まれていると、濱野さんは福田さんの講演内容に共感を示されました。

続いて、匿名の別居親当事者が、相手方弁護士によって一方的に事実確認もなくDV加害者であるとの情報を拡散された顛末を報告しました。その弁護士が弁護士会に送ったメールは、まさに依頼人の利益しか勘案しない弁護士業界のモラルの低さが浮き彫りになったものでした。話題は親子断絶防止法にも及び、世の中で議論が活発化する契機になったことを評価しつつ、会えない親子が本当に会えるようになる法律なのか、疑問を表明しました。

今回は別居親だけでなく、様々な立場の参加者が来場し、活発な質疑応答が行われたことが印象的でした、講演会の前後、離婚後の共同養育を掲げた当事者のデモが、午前と午後の二度行われるなど、子どもの日にふさわしいイベント尽くしの一日となりました。Kネットは、念願である共同親権の実現に向け、今後も活動を継続していきます。