(「市民活動の広場)147号で書いた原稿について、148号では国分寺市の丹羽さんから意見が寄せられていた。この感想では、最後のところで家族責任を女性に押し付けるものとして親子断絶防止法を捉え、それについて「ダマクラカすのはいい加減にしてほしい」とのことなので、丹羽さんとしては、ぼくが詐欺的手法を用いて安倍政権の走狗としてこの法案を擁護しているとの前提で論旨を展開しているものと受け取った。直接問い合わせずに投稿という手段を選んだのだから、そう述べる根拠を明らかにしてほしい。親子関係の維持を求める主張に家父長制の擁護者としてレッテル張りすることを147号でぼくは批判した。それが丹羽さんの文章の目的であろうか。

ぼくたちは、単独親権の被害者団体である。子どもに会えない親だけでなく、親と会えなかった子どもからも、父親が子育てに参加しないで悩む母親からも相談を受ける。両親から愛情や養育を受ける、本来あるはずの権利を、離婚という親の地位の変動によってできなくなっている子どもの格差の是正を掲げるという点では、婚外子差別と闘っている。共同親権になれば婚外子という概念がなくなるので、ぼくたちの運動に参加してくれているフェミニストもいる。そしてぼくの娘は婚外子である。児童相談所に子どもを引き離された親からも相談を受ける。単独親権の状況で同居親が苦境なのはその通りである。だからぼくたちは共同親権を求めている。そしてぼくは妻と別れた後同居親でもあった。死別や親と生き別れの子どもはたしかに多い。ぼくの父親は戦争で父親を亡くし、子どもは家のものだったので、母親が再婚したことで母親と引き離され、家に残された。養父母(叔父夫婦)は父を大学に行かせたが、父は本当は行きたかった東京への進学の夢はついに口に出せなかったという。

戦前は家長に親権がある単独親権が、戦後は男女平等の憲法で婚姻中のみ共同親権となった。離婚・未婚時の単独親権は家制度の残滓だ。母親が親権を得られるようになったのは高度成長の1965年前後。母親が8割の割合で親権を取るのは、現状追認の原則のもと、母親が8割の割合で子どもを見ているからだ。親の子育ての権利を父親が主張することに、単独親権の世の中だからと反発するのはどういう意図か。

またこれは丹羽さんではないが、赤石さんへの批判は、私怨ではないので、そのように述べるのであれば根拠を示してほしい。

ぼくたちの会に、離婚を経験した同居親の母親から最近こんなメッセージが届いた。

 

どうしても、日本でも共同親権が認められるようになって欲しい、と思い、メール致しました。
職もない、住まいもない母親一人が、幼い子供を抱えて、子供たちの人生を全て背負うのは、本当に荷が重すぎると思います。
たとえ、養育費が支払われていたとしても、母親一人のパート収入でやっていけるものではありません。フルタイムの正社員で、とおっしゃる方もいますが、それでも足りないでしょうし、精神的にも肉体的にもキツイでしょう。お母さんが倒れてしまっては、どうにもなりませんから、やはりパートタイムのお仕事になるのではないかと思います。
養育費が支払われても、その後に待ち受ける、高校、大学のとんでもない学費‥‥さらに、塾や予備校、大学院や留学などとなると、支払いはもう絶望的となるでしょう。一度定められた養育費の金額は、物価が上昇しようと、学費がかかってこようと、急な病気や怪我があろうと、変わることはありません。 学費に関しては、本当に目眩がします。
それでも、面会をし、日頃から子供たちのことを気にかけ、交流し、接しているお父さんはまだ偉い方だと思います。中には、去る者日々疎し、で記憶から消えてしまっているお父さんも多いことでしょう。
その間、お母さんは、どれほどつらい思いをして、子育てし、生活していることが‥‥何故、こんなにも理不尽なことが、日本ではまかり通っているのか‥‥
どうか、日本でも、共同親権を認めていただけるよう、お願い致します。DVや不貞行為などで片親親権が好ましい方もいらっしゃると思います。ですが、どちらの親も先ずは子供たちの親としてしっかりすることが大切で、だから片親親権、という事にはならないと思います。それでもどうしても、という場合は、例外を認めても良いとは思いますが。
そして、また、同意無しに簡単に離婚ができてしまうような事のないように。
お母さんと子供達が苦しむことのないようにしてあげてください。

ぼくは子どもとともにあることで親でありたいと願う一人の父親だ。海外に子どもを連れ去った父親の行為に賛同はしないが、「子どもと別れたくない」という動機はよくわかる。ぼくも一度ならずそう考えたからだ。だからそれに「本音はわからない」とあえて書き加えること自体の差別性は指摘できる。わからないなら書き加えることはないからだ。

(「市民活動のひろば」149号、宗像 充