ジェンダー・ウォー

という連載を「府中萬歩記」で書いている。ぼくは10年間子どもとの接触を維持するためだけに家裁に通い続けている別居親だ。最近、家裁に行けば会えているんだから、会えない別居親は問題がある、という主張が賑やかだ。週刊金曜日は、斉藤秀樹という弁護士に「問題のある別居親のための法律は必要ない」という論文を書かせた。実際には、子どもを確保したほうに親権がいくだけで、2015年に家裁に申し立てて何らかの会う取り決めができたのは53%。取り決めがあっても会えなくなる割合は4割。前提も間違っているし、権利を主張すること自体を白眼視するヘイトに、週刊金曜日に申し入れた。

自分の権利侵害を社会に言うとそれは家父長制の復権と批判された。ところが戦前家長にのみあった親権は男女平等憲法で婚姻中は共同親権になり、離婚・未婚時の単独親権は取り残された。お金は分けられるけど子どもは分けられない。だから子育ての時間を分けようという呼びかけを、24条の右からの改憲に反対する同じ人が拒む。時と場合によるのでそんな原則は設けられない、というのだ。でも思う、家制度の母系と父系を争うことはいったい男女平等か。(宗像充・問題のある別居親)

(「Alert」12号、宗像 充)