6月17日父の日 京都府立大学稲森記念会館で、アメリカの男性運動について紹介する映画「レッドピル」が関西で初上映されました。前月こどもの日に立川で初上映され、今回日本で2回目の上映です。映画はクラウドファンディングの末に上映が実現しました。今回関西では、Kネット、日本家族再生センター、親子ネット関西のメンバーによる実行委員によるコラボレーションにより前月からの入念な準備の末、当日を迎えました。当日は早くから親子ネット関西からの多数の当事者有志・国際福祉人権研究財団の代表も参加し、会場準備などで、20人近くの仲間が手伝ってくれました。

13時30分。まずは今回の上映の主催である、Kネット宗像氏の開会の挨拶があり、“誰もが自分らしい家族関係を築けるように”との願いを込めて来場の方々との充実した3時間が始まりました。日本家族再生センター味沢道明さんから自己紹介と、今回は大学の講義室をお借りしてのマナーと写真撮影時の個人情報への配慮の連絡をまじえて挨拶をいただき、上映開始です。会場は大学の真新しい講堂で斬新?な揺れる椅子に70人ほどで着座し、贅沢に4面のモニターを使用させていただけました。

始まって間も無く皆食い入るように映画に引き込まれました。

監督のキャシー・ジェイはもともとは駆け出しの演技者でしたが、映画界の女優へのステレオタイプに幻滅して監督へと転身した経歴の持ち主です。フェミニズムに関わる映画から監督のキャリアを始め、関心あるテーマにある程度納得した作品を発表した後、ふと偶発的に男性権利運動のサイトに関心をもったことが、この映画製作の始まりでした。

監督キャシーのルポルタージュを通して、聴衆も男性差別に多角的に光をあてる旅をしていきました。

ともすれば字面の印象になりがちなフェミニストや男性差別への解説が、彼ら彼女らの表情と挙動を伴った語り口、ときに愁嘆やそれへの圧力が、人々の実際の姿で伝わります。このような一見概念的なテーマが、映像作家の手によりリアルな体感するメッセージとなった作品です。

2時間の上映後、拍手で終了。男性差別の複合的な側面に、監督のキャシーとともにこの問題の解決への複雑さへの困惑を聴衆も抱えました。

会場内には、終了後の座談会ために大部分の方が残っていました。

本日の鼎談の三人の略歴、親子ネット関西のメンバーが用意した、最近のトピックの記事、子供の連れ去りや、虚偽DV、日本の別居親の面会困難に対する国際的な非難の記事なども掲示されました。

続いてKネット 宗像充氏、日本家族再生センター 味沢道明氏、男性運動家 久米 泰介氏による鼎談と質疑応答の座談会が始まりました。

宗像氏からのコメント。自身の家族の関係の来歴から現在の共同親権運動、いま話題となっている目黒での5歳の女の子の虐待死事件報道に鑑みて、親権のない親、戸籍を別にする親は存在しない扱いとなっています。それを飛ばして里親制度・特別養子縁組の要請が話題が先行し、別居親は子供の監護や安全に関与できない。その背景に男性差別の影響が存在する。

味沢氏からのコメント。DV支援の現場での男性差別があることを感じる。映画内でもDVの男性支援施設の少なさが上がっているが、まさに日本でも男性支援組織は 味沢氏が運営する日本家族再生センターただ一つしかない。女性のシェルターが全国にあるのとはだいぶ援助に差が有る。また味沢氏は女性の加害者支援も行なっているのだが、フェミニストの講演では、この問題での演題は断られる。フェミニストからすれば女性の加害者は表に出したくない、認めたくない。

本来DV支援では加害者であろうと被害者であろうと性別にかかわりなく支援しなくてはいけない。しかし男性の研究者でさえ男性当事者よりフェミニストサイドの支援に立ってしまい、男性がどれだけ苦労しているか、差別されているかということに目を向けようとしない。

久米さんのように男性差別について活動し出版をされることは誠にありがたい。差別されている男性自身、今のフェミストの支援では救われない女性自身が声をあげていかないと救われない。マスコミも当てにはならず、文句ばかり言っていても始まらない。できることから始めていかないといけない。それは何なのか。働いても仕方ない、結婚しても仕方ない、と言った後ろ向きにならず、多様な生き方、多様な家族で幸せを模索し続けないといけない。

特に当事者になった人には困難を乗り越えて色んな形の家族の中で幸せになってほしいと味沢氏からのエールがあった。

久米泰介氏からは男性差別について概説していただきました。久米さんは映画の中で監督キャシーが最初に会う男性運動家;ワレン・ファレルの著書の翻訳を手がけられています。

宗像氏から前回の立川上映で鑑賞された方のアンケートからの疑問が出されました。男性が差別されていることは映画からわかったが、それでは一体どうしたら男女平等になれるかが、映画では描かれていないという問題提起です。

味沢氏からは 男女の対立軸で考えない、権力の問題があって、それによる抑圧を受けるのは男も女も同じなのではないか、男女の相互理解が必要だが、あまり共通の言葉を持っていない。男と女の言葉のズレがすごく有る。カップルカウンセリングで通訳してきたのだが、それができる人が少ない。同じ日本語でも言葉の使い方・意味がだいぶ違う。

久米氏から家父長制に反対するフェミニズム側からは、男性差別は家父長制の副産物であると主張されている仮説が提示されました。この仮説は映画内でのセンセーショナルな女性”Big Red”が叫んでいました。パパかママか、男女平等の主張としてマスキュリストかフェミニストか、ヘイトしてミサンドリーかミソジニーか、体制として 家父長制パトリアキーか家母長制マトリアキーか、といった普段あまり明確に線引きしない、男女の対立的概念について詳しい解説がなされました。尚、久米氏は翻訳書や直近の日経ビジネス誌上の連載でも「男性差別」について解説されています。

続いて親権問題での男性差別に焦点が当足りました。週刊金曜日での別居親ヘイト記事での編集者との話し合いでは、女性の抑圧の面への固執から対話不能に陥る経緯が上がりました。国会で上程される親子断絶防止法案で当事者に不利益になる細則の指摘、男性を排除する組織に権益が付いて回ることに法案が切り込んでいない問題も指摘されました。

映画の中でも指摘されていますが、婚姻中はろくに育児をしないのに、離婚した途端に育児をしたがると、よくフェミニストに言われる。男性側からすれば子供の面倒を見るようになれば、男女平等になるからより良いのではといっても、女性の側はそのような議論には入っていかない。

男女の機会均等で、女性には「ガラスの天井」という昇進のしにくさがあるかもしれないが、過酷な労働につかなくてもすむ「ガラスの床下」もあることも、映画の中で指摘されている。また、レッドピルを服用して差別に覚醒し、居心地の悪い真実を求める人は少数で、多くの人はブルーピルを服用して目を覚まさず快適な虚像の社会にいる。当事者じゃない人にレッドピルを飲ませるのはなかなか難しい。

聴衆には別居親で子に会えない男性、親権問題に絡めてこの映画の上映に関心を持たれた方が多かったのですが、他の側面の男性差別の問題として、聴衆の方からも問題的や意見が交わされました。国立大学の医療研究者の方からは、男女共同参画に絡めて昇進の優遇の問題について提起されました。

親権やDVといったあからさまな面でなくとも、なんとなく女性枠を拡充しなくてはいけないといった風潮・圧力があり、ともすると縁故採用につながる、必ずしも能力が評価されず若年男性研究者が昇進で不利益を被る、女性のモラルハラスメントは表にでにくいといった、モヤモヤした男性側の意識があることが指摘されました。

司会者からも映画の中に登場したテロ被害者の男女被害の報道格差、ちょうど上映時期に目黒の5歳の女の子の実母継父による虐待死への一大キャンペーンがSNSなどで展開されながら実父の影が薄い報道格差も上げてみました。

解決の方法として、味沢氏からは問題をマクロとミクロに分ける必要性が提起されました。ご自身の豊富なケース介入の経験から、家族関係の争いでマクロの問題をミクロの問題に適応することの乱暴さ、ミクロレベルでは男女分け隔てなく傷ついていることへの気づきの欠如が指摘されました。自分がどうしてこんなに苦しいのかを、自分の関わっている問題がマクロの問題とミクロの問題とどう関わるのかをきちんと当事者が勉強する必要性を訴えておられました。

マスキュリストである久米氏からはアメリカのマイノリティーを優遇するアファーマティブアクションで例えられました。その結果女性やマイノリティーの権益が優位になっても、今度は既得権は放棄されず、親権などの男性劣位には適応されないといった不公平があることから、質問者のモヤモヤした感覚へ賛意が示されました。

宗像氏からは、まさに親権でのアファーマティブアクションを求めていること、大学の研究者のような成績や成果での機会均等とは少し違い、子供を養育する能力で選別するのではなく、親なのだから機会均等ですよねと提起。むしろ成果主義や成績主義への疑問を社会の中で同時に捉えていかないとならないという見解が提示されました。

このように、男性支援をする立ち位置として、ミクロの問題解決者として日本家族再生センターの味沢さんのように個別のDV問題解決をされる立場と、久米氏のように社会運動のマクロの視点から問題分析を測る立場、そしてその両方の大きさの問題に対して当事者支援と社会運動を展開する、共同親権運動や親子ネット関西の立場から意見が交換されました。その結果、アメリカを舞台とした今回の映画と同様、鼎談を通して日本の男性差別に多角的な視野から意見交換がされました。

最後に聴衆の中から大阪大学経済研究科准教授 深尾葉子氏からも意見が提示されました。深尾氏はパネリストの久米氏の書評を書かれた間柄。「タガメ女」「カエル男」の刺激的な言葉が登場する深尾氏の著書で、日本の夫婦の力関係だけでなく、自らの社会の通念や価値規範に我々がどのように囚われているか知ることが、別の視点と異なる可能性を見出すとの考えを提示しています。

著書を通して、男性に婚姻というシステムで取り付いて生きざるをえない女性は幸せではない、男性についても味沢氏の意見に賛同し、婚姻システムによって職業に縛られ家庭を負うことで奴隷化するのはよくない、この見解の提示の結果、両方から責められたという中立的な立場のご経験を披露された。

今回の映画や男女蔑視や差別の討論から、男性か女性か、どっちが正しいか、このレッドビルの監督自信もわからなくなってしまうのは、そもそもそれらの二分法が不幸を呼んでおり、それらすべてを取り除くことのみに意義がある。パトリアキーやマトリアキーでもなく、産める産めないの差はあれど、男性と女性の間はグラデーションで中間の人もいる。これをどちらかに切り分けることでは絶対に答えにはたどり着けない。

一番大事な課題は ドグマを取り去る、自分を苦しめているフレームを取り去る、魂のあるところに打ち勝つこと。この課題をはっきりと認識して、このフレームを取り去ることに一番力を入れるべき。課題がわからないと二者択一から抜け出せず迷走を続けてしまう。ミクロ・マクロの視点を切り替えることは重要だが、その前にこのドグマを取り除く、そうすれば一緒に問題と戦えるし、変なものに汗をかかないですむとのこと。

俯瞰的な意見の提示から、それまでの乱立した視点に一筋の光が見えて、今回京都上映会の聴衆は、監督のキャシーよりも性差別の解決の糸口にわずかながらも近づけた有意義な討論となりました。

最後に映画の導入に尽力されたKネット森本氏から告知がありました。裁判国家アメリカのなんでもカタをつけるお国柄に触れ、対照的にフランスでは男女の役割がはっきりしている割に男女が揉めない。目の前のあなたを大事にするために男性らしさ女性らしさを使う。このテーマでフランス人女性を招いての講演を検討しているとのことです。

貴重な活動への寄付をして頂きました皆様の篤志に改めてお礼申し上げます。

The Red Pill ;もっともっと多くの人に見てほしい映画です。
次回の上映は最終回。7月21日お茶の水、全労連会館でおこなわれます。
この後しばらく上映予定がありませんので、ぜひお見逃しなく!
その後も映画館での上映や自主上映運動が広がっていくことを期待しています。

文責:三輪博志

宗像充
Kネット: 共同親権運動ネットワーク運営委員
ライタ同居親、別居親にかかわらず、情報提供をし、別れた後の共同子育てや別居親子のための「おおしか家族相談」で相談・支援事業を行う。
共著、いずれも社会評論社から刊行。『子供に会いたい親のためのハンドブック』(2013年)
『引き離されたぼくと子どもたち』(2017年)『子育ては別れたあとも – 改訂版・子どもに会いたい親のためのハンドブック』(2018年)

味沢道明
日本家族再生センター 代表・カウンセラー
・1954年広島県生まれ・自然派料理教室のかたわら、日本の男性運動をリード。
男の悩みから、加害者の脱暴力支援を開始。現在は加害被害、性別、年齢にかかわりなく、DVやモラハラ等に関わる困難の渦中の当事者のためのさまざまなサポートを提供。
・読む無料カウンセリング「味くんの家族再生支援日記」(旧ブログ)を2005年から執筆中、現在は新ブログで執筆中。
・視る無料カウンセリング「家族再生チャンネル」(youtube)を2015年から配信開始
著書
「DVは なおる」(2016) 「メンズカウンセリング実践」(2009)
「脱暴力のためのファシリテート」(2006)
「殴るな!」(2005)「料理も暮らしもいい・かげん」(1997)

久米 泰介
翻訳家 マスキュリスト(男性人権論者)
1986年、愛知県生まれ。関西大学社会学部卒、ウィスコンシンスタウト大学人間発達家族学MS(修士)取得。専門は社会心理学、男性のジェンダー、父親の育児。
翻訳書
『ファーザー・アンド・チャイルド・リユニオン-共同親権と司法の男性差別 』ワレン・ファレル (著)( 2017年) 『広がるミサンドリー: ポピュラーカルチャー、メディアにおける男性差別 』ポール ナサンソン (著), キャサリン・K. ヤング (著), (2016年) 『男性権力の神話―《男性差別》の可視化と撤廃のための学問』ワレン・ファレル著 (2014年)