という問いかけを、共同親権や面会交流について考えるとき、議論することがある。
「親子の絆は切れないから」ということが言われる一方で、「血を分けた親子」という言い方もされる。
では血縁があれば、それだけで面会交流の権利が得られるのか。そんな疑問について意見交換し、今後の運動につなげていくのが目的。
第一回目は9月26日に、西新宿の会場で開かれ、記者も含め15人ほどが参加した。
成沢さんのお話
成沢真知子さんは、昨年子どもと引き離された妹さんを亡くした。妹さんは元夫に殺され、2人の子どもたちが残された。成沢さんは、その子どもたちの後見人になろうと裁判所に申し出た。
妹さんの死後、妹さんの子どもたちが、「前はママのこと大好きだったけど、今は大嫌い」と言った言葉が忘れられないという。
裁判所は今までと同じところがいいと成沢さんの訴えを却下したが、「うそで塗り固めたところに子どもたちを置いておいていいのか。思いが一方通行で交わらないと伝わらない。法律や第三者による邪魔が入ってしまう」と自身の体験を述べた。
長田さんのお話
長田さんは、ご自身のお子さんの神経症をきっかけに1980年代にフリースクールをはじめた。
さまざまな家庭の子どもたちがやってくるが、祖父母が親権者になっていた男の子が「ぼくが生まれなければよかった」と述べていたことを覚えている。
「生きるエネルギーを失っている子どもの教育は、マイナスからのスタートになる」
と述べ、学校の中では会えない子どもを受け止めてくれる教師もいるが、一方でいまだに「欠損家庭」という言葉が学校で使われている現実を指摘した。
日本は親族による殺人が2008年49.1%にのぼり、他国に比べて高い数値を示す。加害者被害者の中で子どもがどう育つのかと問題提起した。
「心中という言葉に腹が立つ。私たちがいなくては子どもは生きられないというのはという考えがある。親子がたとえいっしょにいなくても子どもが育つしくみが必要」
と述べ、自身の子どもがアメリカに留学した際、祖父の呼び名が呼び捨てで、呼び名を関係性で呼ぶ日本社会のありかたを指摘した。言葉が違うから親子関係も違い、アメリカの仕組みを日本にそのまま輸入しても必ずしもうまくいくとは限らないという。
長田さんの息子さんは現在、月に1度、孫と面会交流をしているが、お孫さんも面会交流を重ねるにつれ、来月も会えるとわかると落ち着いてくると感想を述べていた。
意見交換
司 会からは、血縁という「親子関係」と「親の役割」の違いを指摘し、「親子関係」と「親の役割」が一致しているのが望ましいにしても、それができない場合 は、「親の役割」ができる複数の大人がいることが重要であり、しかし現在の単独親権による法制度は、「親子関係」どころか「親の役割」を果たすことができ る人と子どもとの関係すら絶っているのではないかと問題提起した。
会場からは、離婚の争いの中で、子どものことは置いていて、お金のことばかりが 争点になる現状が述べられたり、たとえ親が離婚に至らなかったとしても、親子の絆を感じられなかった経験が語られたり、多様な家族のあり方がのぞましいと いっても、やはりある程度の枠は必要ではないかという問題提起がなされたり、性別役割分業の中で、結局女性の就労の問題が焦点になるのではないかなど、活 発な意見交換がなされた。
夫の死別も2年前に経験した成沢さんは、「みんな違ってみんないいと言いつつ、現実はそれは認められていない」といろんな偏見を受けた経験を語った。
親が子どもを見るのが基本としつつ、離婚家庭が置かれた現状を議論することは、そういったさまざまな社会の目に向けてどういう発信をしていくかという問題であることが、意見交換から浮き彫りにされたと思う。
次回は、多様な家族のあり方と家族の枠組みを議論する中で、共同親権制度について考えてみたいと思います。(宗像)