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会報 :共同親権運動 第12号

会報 :共同親権運動 第12号

名古屋での学習会「共同親権とは?」

先日、宗像氏を名古屋にお招きして「共同親権とは?」とのテーマで、お話しいただきました。私なりに新たな 気づきと再確認の会となりました。本当の意味での“共同”は、なかなか難しいな!と、あらためて感じてます。そもそも離婚するわけですから、なにか二分す るような印象の“共同”とは、無理があるように思ってます。

また、宗像氏の語る言葉、発言に中に多く共感を得ることがありました。そう! そうなんだよな!って。例えば、まったくの他人であれば、いろんな面で控 えることが一度夫婦となったことで、見過ごすことができなくなる。感情的否定を、どうしても辛抱できなくなってしまう。人格否定以上の徹底した拒否とな る。プラス、他人事ならば○○○と思えたり考えたりすることが、自分のこととなると×××となってくる。

本来、“人として”の位置に立ったような一貫した 考えになるべきを、やっぱり一度夫婦となったことで、差が出てくる。立場の違いをある意味で正当化の盾にして“言うこと”が、とてつもなく変わってくる。 今回の会の内容に、“単独親権は親権剥奪! 「親権剥奪理由」=「親権の濫用」か「著しい不行跡」”ということがありました。離婚によって、要は“子育 て”の“蚊帳の外”に放り出されてしまう。離婚によって離れて暮らすことを余儀なくされる側の親は、すべて「著しい不行跡」なのか? そんなレッテル?! を、しかも法律によって決められてよいのか?と。 離婚は、夫婦の解消であって、親と子の断絶では決してないし、夫婦は選択の余地がありますが、 親子関係は一生もんです。単に好き嫌いの問題でないはず。また、離婚したとて親としての責任を負わせるべきだし、両親に養育負担を課すという発想が必要で は!との話もありました。 広く世の中には、離婚を機に我が子との接触を避ける。要は、縁を切る親も現にいます。離婚したら「ハイ、さようなら!」とする親が、少なくありません。 当然ながら、単に法律を変えれば済むハナシではなく、本質的根本的なところでもっと詰めていかないと、ダメだなと感じます。

私は、いち当事者で あって政治家でも学者さんではないから、実生活が現に変わることが目的目標であって、考え違いや歩み間違えをしないように努めながら、少しでも幸せに近づ けるため、近づくために、想いを込めながら地道にコツコツと私にできることを進めていきたいなと、決意をあらたにいたしました。(杣木みお)

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