白馬村住民登録拒否裁判不当判決

抗議声明 白馬村住民登録拒否裁判不当判決

抗議声明
白馬村住民登録拒否裁判不当判決 
共同親権運動ネットワーク

2014年3月31日、長野地裁松本支部の長谷川武久裁判官は、白馬村が住民登録を1年4カ月にわたって拒否し、子ども手当を支給しなかったことを、父親とその息子(A君)が損害を訴えた裁判において、父子の訴えを退けた。

 
 私たちはこの判決に断固抗議する。

 同居する母親の不適切な養育環境から逃れ、小学5年生のA君が白馬村で暮らす父親の堤則昭さんのもとへ身を寄せたのは2010年9月のことだ。ここで、A君が身を寄せた家はもともとA君が暮らしていた家である。2004年に母親はA君を堤さんのもとから連れ去った過去がある。A君は母親の元では堤さんへの思慕を否定され、交流が希望通りにかなわなかったことを述べている。

 ところが、父親に親権がないことを理由に村は住民登録を拒否し、白馬村教育委員会はA君を村の小学校に入学させなかった(入学拒否裁判は継続中)。A君は教科書を支給されなかったり、健康診断を受けさせてもらえなかったり、成績表の交付してもらえなかったり、数々の差別を受けている。本来子どもへの差別的措置を回避する手立てをとるべき教育委員会が、差別の主体となったことは驚くべきことだ。

 今回の判決は「親権者の意向は行政手続きの公正さよりも優先する」と述べたことにほかならない。連れ去り被害児が自分の力で元の家に戻ってきても、行政は保護しなくてよいと長谷川裁判官は述べた。帰宅を「家出」と言いかえてはならない。堤さんは望んで親権を放棄したのではなく、現行民法の単独親権制度のもと、裁判所で親権をはく奪された。
 現在、親権の所在は、理由はどうあれ「実効支配」の元に裁判所では決められる。親権のあるなしは、子どもが手元にいるかどうかの結果であり、親の適格性を反映するものではまったくない。仮にそこに基準があるとしたら「うまく子どもから片親を排除した」ことが「適格性」の証明である。

 この判決で、子どもへの不当な行政措置を容認することによって、裁判所は自ら親権をはく奪した親に、行政が恣意的に罰を加えることを許した。行政と結託した裁判所の自作自演である。親の法的な身分の責めを子どもに負わせるという点で、未来の子どもたちに責任を追うべき大人社会の判断として恥ずべきものだ。理由は裁判所の現在の野蛮なルールを守る以外にない。また、子ども手当の不支給の是認は、この場合、親権者でない親と同居する子どもの生活は他の子と比べて劣ってもよい、との裁判所の宣言である。いい生活がしたかったなら、家出先に戻れ、という裁判所の脅しにほかならない。卑劣極まりないものとして私たちは今回の判決を歴史に刻みたい。

(2014年4月2日)