千葉家庭裁判所松戸支部判決 「別居親への親権者指定」についての声明
共同親権運動ネットワーク
4月29日、千葉家庭裁判所松戸支部の庄司芳男裁判官は、
離婚裁判の判決において、
5年間娘の養育への妨害を受けてきた父親を親権者・監護権者とした。
相手の親子関係をより保障する、寛容性の原則に従って決定を出したものだ。
私たちは今回の千葉家庭裁判所の決定を素直に歓迎する。
離婚時に父母どちらかの親に親権を定める単独親権制度の日本では、
子どもを確保できなかった親から親権を奪う
「実効支配」の原則が何よりも幅を利かせてきた。
「継続性の原則」などという法律用語に置き換えることすらはばかられる、
野蛮な「ジャングルの掟」そのものだ。
裁判所も弁護士をはじめとした法律家たちも、
この掟の存在を知悉した上で、クライアントに知恵をつけ、
「ひとり親」家庭を量産してきた。
その結果、連れ去り事件が多発し、面会交流事件の件数は家裁で
うなぎ上りになって裁判所業務を圧迫してきた。
裁判所は自分で自分の首を絞めてきたにすぎない。
今回の決定は、同居別居関わりなく、
双方の親の養育が子の利益であるということを
再確認したという面で当然のものだ。
判決は、単独親権制度下の日本ではなおいっそう、
子どもに二つの家を保障することこそが、
本来の親権者の役割であることを明らかにした。
私たちは、今回の判決で、「先に取った者勝ち」の蛮行が抑止され、
生き別れになる親子が減ることを期待している。
その意味で今回の判決は、連れ去り・引き離しの違法化を大きく前進させた。
また、別居親団体として私たちは、
今回の判決に至るまでに父子が被った損害に目を向けざるをえない。
お子さんは5年10カ月にわたって、
父親不在の環境を生き延びざるをえなかった。
判決に至るまでの父親の経験は、子どもに安心感を与えたいと願う親たちが、
この国でどのような仕打ちを受けるかを物語っている。
子どもを連れ去られて会えなくなり、DVをでっち上げられ、
不自由な交流を強いられ、裁判官は法律無視の暴言を吐く
……今回の事例が氷山の一角であることを私たちは否定することはできない。
「子どもにとって離婚とは家が二つになること」という事実から、
もはや司法や法律家も目をそらすことはできない。
今回のような判決で追認された原則が確立していれば、
裁判所の相場に従い、親子断絶につながる月に1度2時間といったような面会を、
母親が提案することには大きな迷いが生じただろう。
私たちは、今回の判決で、父子関係が回復し、
子どもが父子、母子双方の親との関係を新たに築いていくことが
できるようになることを望んでいる。
控訴は子どものためにならない。
親子はともに成長していくものだ。
堪え忍ぶものではない。
(2016年4月2日)
千葉家庭裁判所松戸支部判決 「別居親への親権者指定」についての声明
千葉家庭裁判所松戸支部判決 「別居親への親権者指定」についての声明
共同親権運動ネットワーク
4月29日、千葉家庭裁判所松戸支部の庄司芳男裁判官は、
離婚裁判の判決において、
5年間娘の養育への妨害を受けてきた父親を親権者・監護権者とした。
相手の親子関係をより保障する、寛容性の原則に従って決定を出したものだ。
私たちは今回の千葉家庭裁判所の決定を素直に歓迎する。
離婚時に父母どちらかの親に親権を定める単独親権制度の日本では、
子どもを確保できなかった親から親権を奪う
「実効支配」の原則が何よりも幅を利かせてきた。
「継続性の原則」などという法律用語に置き換えることすらはばかられる、
野蛮な「ジャングルの掟」そのものだ。
裁判所も弁護士をはじめとした法律家たちも、
この掟の存在を知悉した上で、クライアントに知恵をつけ、
「ひとり親」家庭を量産してきた。
その結果、連れ去り事件が多発し、面会交流事件の件数は家裁で
うなぎ上りになって裁判所業務を圧迫してきた。
裁判所は自分で自分の首を絞めてきたにすぎない。
今回の決定は、同居別居関わりなく、
双方の親の養育が子の利益であるということを
再確認したという面で当然のものだ。
判決は、単独親権制度下の日本ではなおいっそう、
子どもに二つの家を保障することこそが、
本来の親権者の役割であることを明らかにした。
私たちは、今回の判決で、「先に取った者勝ち」の蛮行が抑止され、
生き別れになる親子が減ることを期待している。
その意味で今回の判決は、連れ去り・引き離しの違法化を大きく前進させた。
また、別居親団体として私たちは、
今回の判決に至るまでに父子が被った損害に目を向けざるをえない。
お子さんは5年10カ月にわたって、
父親不在の環境を生き延びざるをえなかった。
判決に至るまでの父親の経験は、子どもに安心感を与えたいと願う親たちが、
この国でどのような仕打ちを受けるかを物語っている。
子どもを連れ去られて会えなくなり、DVをでっち上げられ、
不自由な交流を強いられ、裁判官は法律無視の暴言を吐く
……今回の事例が氷山の一角であることを私たちは否定することはできない。
「子どもにとって離婚とは家が二つになること」という事実から、
もはや司法や法律家も目をそらすことはできない。
今回のような判決で追認された原則が確立していれば、
裁判所の相場に従い、親子断絶につながる月に1度2時間といったような面会を、
母親が提案することには大きな迷いが生じただろう。
私たちは、今回の判決で、父子関係が回復し、
子どもが父子、母子双方の親との関係を新たに築いていくことが
できるようになることを望んでいる。
控訴は子どものためにならない。
親子はともに成長していくものだ。
堪え忍ぶものではない。
(2016年4月2日)