この意見書は、個人の係争に対してかつて父のもとに帰宅したお子さんが
後に、当時のことを思いだして書いた手記です。
現在の家庭裁判所の係争処理が後に子どもからどのように見られているのか
示唆に富む内容となっています。

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意見書
平成29年4月28日

裁判所 御中
☓ ☓  ☓ ☓
住 所 〒☓☓☓-☓☓☓☓
長野県☓☓☓☓

私は、独立行政法人国立高等専門学校機構長野工業高等専門学校の3年生です。私は5歳の時、両親の別居に際して、家族で暮らしていた長野県白馬村の自宅から、母親によって一方的に東京の母親の実家に連れ去られ、そのまま父との自由な交流ができなくなりました。
その後父が尽力してくれた結果、少しずつ父親との交流ができるようになりました。しかし、継続される母親の、父との面会交流の妨害と父への悪口が嫌で、10歳のときに家出をして長野県白馬村の自分の家に帰宅しました。
私もこの年齢になって、当時の裁判関係の文章等を理解できるようになりましたが、そこにある連れ去った側の母親の身勝手な理屈や、私の気持ちを顧みない推測による裁判所の一方的な判断には恐怖すら感じました。そこで、こうした大人たちの過ちを改めてもらう意を含めて、私と同じような境遇にある子ども達が親子の交流の機会を失うことのないよう、私の体験から意見を述べます。

1.父との面会交流の方法について

母親は、私と父が面会交流する際の私の移動距離およびそれに要する時間について、当時の私にとっては負担が大きいことを理由に父との面会交流の機会を制限するよう主張し、裁判所はそれを認めました。
結果として、私は何ヶ月に何回か、つまり、母親の認めるときにしか父親との交流ができませんでした。
しかし、それ以上の距離や時間を要する外出に母親は私を連れ出しました。父と過ごす時間はそれ以上に大切な「当たり前の時間」です。家族ですから、これがもっとも大切な時間であるはずです。その「本来あるべき時間」を私から一方的に奪っておきながら、私の負担を口実に、他のどの子供も持っている「自由に父親と過ごす権利」を母は私から奪い、それを裁判所が認めたのです。
父は何度か面会交流調停を申し立てたようですが、きっちりと取り決め通りに実施されたことはありません。
父は、安定的な交流ができるよう、事前に計画的に母親に予定を打診していました。それに対して母親は、速やかな返答もせず、間際になって予定を変更、またはキャンセルもしていました。もっとも、当時の私にそんなことが知らされるはずもありませんでしたが、そんなことだろうことは感じていました。その時、母親は、私が父と定期的に会えないことを私の習い事のせいにし、あたかもそれが私のためであるかのような言い方をしていました。そして、それは「裁判所が決めたこと」なのだと私に話しました。
私はそれが不満であり、不安でもありましたが、当時の私にはそれに逆らう術もありませんでしたから、そのうち父とのことを色々考えるのも面倒くさくなって、どうでも良くなっていきました。
父との面会交流は、私が小学校1年生のときから始まりました。白馬村の自宅と東京の母親の家との距離は約280km、普通特急で片道4時間くらい要します。はじめのうちは母親が私を交通機関に乗せ、父が降車場所で出迎えていましたが、次第に私は母親の家から自分で父のところに向かうようになりました。東京の母親の家に向かう時は、父が私を交通機関に乗せ、母親が降車場所で出迎えていましたが、次第に私は母親の家まで自分で向かうようになりました。
私はこれを負担に思ったことは一度もありません。こんな私と父との面会交流には、何の問題もありませんでした。ただひとつ、その機会を他人である裁判所に無責任に制限されたこと以外には。
白馬の自宅では、私は普通に、今までずっと住んでいたかのようにくつろげました。何か特別なことをするでもなく、ただ私の居場所があるという安心感で満たされていました。長期休業で、何日か続けて自宅に滞在できる時も、父はいろいろと私を楽しませようともしてくれましたが、私は次の日も父と自宅で過ごせる、ただそれだけで良かったのでした。安心だったからです。しかし、母親のもとに発つ日は穏やかではありませんでした。とても不安でした。いつまたこんなに安らかな日が訪れるかわからなかったからです。「裁判所はなんで実の親子が会うことに制限を認めるのか」それを思った当時の私はとても辛かった。そんな裁判所に対して今の私は怒り心頭です。
どんなに遠くたって、どんな大渋滞だって、普通の家族は旅行等に子どもを連れ出します。それを「負担だから嫌だ」なんて子供を見たことはありません。それ以上に大切な「父に会うために移動すること」が負担なわけがありません。家族に会うのですから。
それでも移動の時間を減らすべく、父親は私の移動に新幹線を使用するように母親と交渉していました。そうすれば移動時間が1時間以上減ります。つまり、父親と過ごす時間は2時間以上増えます。一方、母親が指定していたのは高速バスでした。これは渋滞が不可避でしたので正味6時間は移動にかかります。私が6歳のときには12時間かかったこともあります。これは、今思えば私と父が楽しく過ごす時間を持つことを嫌った母親の意地悪に過ぎません。それを見抜くこともできずに、私のため(福祉?)として責任を私に帰して母親の主張を認め、私と父との交流に制限を認めた裁判所など、滑稽で仕方ありません。裁判所は、何の権利があって私が父と交流する機会を制限するのでしょうか。当時、裁判所が私と父との自由な面会交流を認めたならば、私はもっと安心で満たされた人生が送れていたことは明らかです。

2.子どもの意向調査について

私はかつて、4回も調査官調査を受けました。今その報告書及びそれに基づく裁判所の判断を読むとおかしくてなりません。当時の私が幼くて何も言い返せないのを良いことに、私のことについて、大人たちに都合の良いデタラメが書かれているからです。
「遠くに住んでいる父親としょっちゅう会うのは疲れる」だとか、「習い事を優先したいから父親とは会えない」とか、「兄弟で別々に父親に会うのは嫌だ」とか…。そんなことは、言わされはしたかもしれないけど思ってなんかいませんでした。この程度のこと、専門家と呼ばれる調査官が見抜けないとは驚きました。
親権者の母親の支配下にある私にとって、「子どもの意向調査」など「踏み絵」以外の何ものでもありません。普通は親権者である母親が喜ぶことを言うに決まっています。調査官だってそれを迎合するのが幼い私にもあからさまでしたから。褒められるだろうことを言いますよ。父と母親が逆の立場なら、私の言動も基本は逆になったでしょう。
私が本音を言えるようになったのは、母親の元を去った後です。母親は私を引き戻すための申し立てをしましたが、その際の調査官による調査はむしろ説得でした。母親の元での生活に問題がなかったこと、一時の感情的な理由による気の迷いで帰宅したとの言質を取るための誘導尋問(もはや詰問)が長時間続けられました。
同居親の支配下での子の意志の確認など、平等でもなければ正確でもありません。安易に子どもの意志を利用することは、子どもに自らの責任で親との関係を断たせて、その後負うことになる人生の責任を子どもに帰する残酷な行為にほかなりません。本来子どもが得られるはずであった権利を保障する見地に立って、子どもの置かれている状況を慮ってほしいと思います。

3.部活や習い事、塾等を口実にした面会交流拒否について

私の場合もこういうことはよくありました。
私は、クラブ活動も習い事も好きでした。でも、私がそれらを好きなことを理由に、つまり、私のために(せいで)「面会交流はさせたいのだけれども、子どもがやりたがっている習い事があるので会わせられない」と同居の母親が主張したのは納得できませんでした。これも普通に考えればおかしい。
「クラブ活動と親とどちらかを失う」と言われたならば迷わずにクラブ活動を手放します。両親がいるから私があるのであり、優先順位は自ずと決まります。部活を優先したがために親と会えなくなったなら、私は一生後悔して生きることになるでしょう。
私も、私を連れ去った母親のもとでは、一週間の七日全て習い事をしていました。土日も全て試合に練習に遠征…。そんな状況で、親子の関係と切り離して「習い事は好きか」と聞かれれば「好きだ」と答えますし、「休みたくないか」と聞かれれば「休みたくない」と答えます。そう答えることを周りの大人達が期待していることが明らかだったし、面倒だし他に言いようもなかったのでそう答えました。こんな環境下で「今日は習い事を休んで父に会いたい」なんて言えませんよ。その後に私が戻るのは同居の母親のもとなのですから。だから、当時の私の言葉は、決して別居させられた父との交流の機会を犠牲にしてまで習い事がしたいというわけでもないし、ましてや、そうして父との面会交流を制限することが子供の権利でなんかではありません。
先ずは家族があっての私です。周囲の大人たちが、私の意に反して一緒に暮らせなくなった父との、交流の機会を最大限十分に保障してくれたなら、私はもっと自分の権利を尊重された上で住む環境も選べたはずです。
本来、家には父と母がいるはずです。毎日普通に会えるはずです。それがある中で、「週末は家族と過ごすよりも友達と過ごしたい」とか、「家族と出かけるよりも習い事がしたい」というのがあるのです。
それは両親が別居したって同じで、別居の親との交流の機会が十分保証された上で、「友達と過ごしたい」とか、「習い事がしたい」とかと言う話は、普通の家族が家庭でするのと同様に、同居親の干渉を排除した自由な環境での、別居親との交流の中で、普通に別居親と話をすればよいのです。
つまり、それは別居の親との交流の機会が十分保証された上での別居親と子どもの問題であって、それを同居親が主張し、裁判所が認めるなどというのは、子どもの権利を蔑ろにしていると言わざるを得ません。

4.兄弟一緒の面会交流について

私には兄がいます。兄弟揃って母親に連れ去られました。そして、同居の母親は、父との面会交流についても兄弟揃ってされるべきだと主張したようです。その理由は、「平等に」とか、「ひとりでは不安」とかいろいろだったようです。
何れにしても今言われると意味がわかりません。
まず、別居親との十分な交流の機会が保証された中での「平等に」ならば、「兄弟のどちらかが不当に多すぎる」ことをいうのでしょうが、面会交流が問題になっている場合は別居親との十分な交流の機会が保証されない状況下にあるので、同居親の主張する「平等に」は、少ない方に合わせたい意図が明確です。私達子どもの立場からすれば、他の家族同様に、別居親との交流の機会は保障されるべきだと考えられるところ、同居親の主張する少ない方に合わせる「平等に」は、両親が揃っている家庭と比べて極めて平等でないと言わざるを得ず、同居親に都合よく平等という言葉が用いられているに過ぎないと思っています。
また、「ひとりでは不安」も一見もっともらしいのですが、不安を軽減すべく環境整備に腐心するのは大人の役目でしょう。そもそも、大人がそこまでしても不安なものに、子供の数が増えて不安が払拭できるものではないでしょう。
「ひとりでは不安」が子供の思いだとしても、おかしなものです。やはり普通の家庭を思えば済む問題です。普通の家庭ではいつも兄弟一緒でしょうか?実の親子が普通に会うだけのこと。一人の都合がつかなかったところで、諸共に面会交流をしない理由にはなりません。

5.以上のように、私の母親は様々な理由をつけて「子供のために」という理由で父との面会交流を制限するよう主張しましたが、成長した私が見れば極めて滑稽なものです。それは「母親の都合」以外のなにものでもないことが明らかなのですから。
別居親と過ごす時間などは、「子供のために」というならば、一般の他の家族と同様に別居親と過ごす時間を保障された上で、子供の成長度合いに合わせて、その機会は子供が独自に別居親と相談して決めればよいのです。
それができる年令に達しない子どもにもやはり、基本的には一般の他の家族と同様の別居親と過ごす時間を保障した上で、それぞれの親が子供の状態を思いやってその内容を検討すればよいのではないでしょうか。
親同士の葛藤をコントロールするために、一方の親との交流の機会を制限し、私達子供の両親により育てられる権利を制限するのではなく、一般の他の家族と同様の両親に育てられる権利を保障した上で、その内容について協議をして欲しい。
まさに、家族のことを、家族みんなで話し合い、自己責任のもと、納得して決める。当たり前のことではないでしょうか? 実効支配した者が主導権を握るなんておかしいと思います。そこには私達子供の権利なんて存在しません。
別居していた父が、学校に来てくれた時は本当に嬉しかった。嬉しかったことを家で話すのは普通のことなのに、母親の前では話せなかった。話せば父は学校に来られなくなるから。父との面会交流では時を惜しんで楽しんだ。でも、その事実を母親の前では話せなかった。話せば父に会えなくなるから。裁判所はこんなにも辛い私の境遇を理解することもせず、私達兄弟が自由に両親の元を行き来できる、つまり、両親によって育てられる環境を整えてくれないから、私は母親の実効支配に対して、家出という実力行使にでなければならなくなったのです。