目黒区の虐待死事件についてのkネット声明完成版

2018年6月15日

共同親権運動ネットワーク

東京都目黒区で3月、5歳の船戸結愛さんが死亡した事件で、母親とその再婚相手が逮捕され、その後、児童虐待に対する児童相談所の機能向上などが虐待防止のために議論されている。共同親権者による虐待事件が問題視され、里子・特別養子縁組制度について議論されるようにもなっている。

まず私たちは、この事件の容疑者が「父母」として報道されていることに強烈な違和感がある。容疑者2名は母と母の再婚相手である。民法上も、父母は血縁関係のある父母である。亡くなった結愛さんが、「パパ、ママいらん」「前のパパが良かった」と発言していることが報じられている。ここから、結愛さんは、血縁関係のある父親を「前のパパ」、母親の再婚相手を「パパ」と日常的に呼び習わされる環境に置かれていたことがうかがえる。血縁関係のある父(以下「父」)を、自然にパパとは呼べないのが常態だった。

私たちは、本事件の全容解明を待っている。

しかしながら、結愛さんの父と再婚家庭との関係について問われることなく、単に「父母」による殺人事件として本事件が取りざたされることは、事件の本質を見失う恐れがあり無視できない。本質を見失った再発防止策では虐待防止への誤った施策に結びつき、さらなる悲劇を誘発する。

本事件の背景に、親の離婚と再婚における世間の常識と制度の制約があるのは明らかである。継父を「父」とメディアですらが表記するように、子と養子縁組してしまえば、継父子双方は、実の子であるかのように振る舞うことが要請される。この再婚養子縁組に子の同意は必要ない。親権者である母親が子に代わって養子縁組に同意することができる(代諾養子縁組)。そして親権のない父親はこの養子縁組を拒否できないどころか、知ることすらできない。考えても見れば、虐待が死に至るまで、結愛さんの父が、再婚家庭の養育について適切に関与できなかったはなぜであろうか。

親権のない父親は、子が養子縁組されたことで、世間からは「父」と呼ばれる機会を失い、仮に裁判所に行っても、養育費の支払い義務を免れ、子との接触を規制される。つまり父の子への権利義務を解除されたところで生じたのが、本件事件であることが伺われる。にもかかわらず児童相談所は、子が共同親権の「両親」のもとにいることをもって、適切な介入がなされなかったのではと批判を受けている。

本件事件の背景にあるのは、別れた親は子どもの養育はもう一方に任せたほうがよいという発想であり、それを支える単独親権制度である。そして、子をなした父母ではなく、再婚家庭を父母を呼ばせるのは、そもそも同姓の夫婦のもとに子がいることこそが「子の福祉」であるとする、戸籍制度に依存した考えにほかならない。この制度の枠外に置かれた結愛さんの父の存在を無視し、子どもを家族が囲い込んだことがそもそもの事件の背景にあり、児童相談所の介入の是非は二義的なものである可能性がある。

そういう意味では、親権停止の強化の議論は的外れである可能性があり、里親・特別養子縁組制度の活用など論外である。家族を孤立させる制度の存在が虐待の背景にあるとするなら、別の家庭に子を所属させても原因は除去されないからだ。

結愛さんが求めていたのは、両親による愛情である。子どもが離婚したり再婚したりするわけではない。離婚や再婚によってその環境が損なわれていたことこそが問題だ。子が父を「前のパパ」と呼ぶような家庭環境しか作れない継父と、子の父の存在を大事にしてくれる継父のどちらに子どもがなつくか考えれば、答えは明らかではないか。

この事件の本質は、「子どもにとって離婚とは家が二つになること」という事実を無視して、一つの家族のあり方を家族関係に押しつけたことにほかならない。児童相談所の介入のあり方について議論する前に、当該家族関係の背景にある、戸籍制度に家族関係を適合させるために維持されてきた単独親権制度、代諾養子縁組制度の是非を議論しなければ、同様の事件の再発は防げないだろう。

なお、代諾養子縁組制度は、2010年に国連子どもの権利委員会から是正の勧告を受けている。「子どもの福祉」を損なう可能性のある代諾養子縁組制度は本事件を契機に即刻撤廃すべきである。それなくして、里親制度や特別養子縁組制度の活用など、親に見捨てられたと感じる子どもを増やすだけで反対である。