2008年3月に国立市で植野史さんとともに提出した、一つの陳情が運動のきっかけだった。

面接交渉(面会交流)の法制化を求めるその陳情は採択され、国立市議会から関係機関に意見書が提出された。

陳情をきっかけにして開いた集会で、 同じ子どもに会えない親たちが集まってきた。

子どもに会えない親たちが声をあげるということは、社会的に見れば珍しい現象の一つだったようだ。

何しろ、子どもに会えないということがどういうことなのについては、当の本人も含めほとんどの人がわかっておらず、「よっぽどひどいことしたんじゃないの」という問いかけをなされることが多かった。

いろんな活動をして、社会の注目も集まっていき、共同親権という言葉が、だんだん知られるようになっていった。

私たちは、関係を絶たれた親子が再び会うための取り組みを続けるとともに、「会わせてもらう」だけではなく、対等な親どうしの関係がどう築けるかを模索し共同養育が可能な法や社会のあり方を実現していこうと今は考えている。

それを私たちは「共同親権運動」と呼んできた。

事務所には毎日のように問い合わせが来る。

そういった問い合わせの一つひとつが、

これからの社会のあり方を変える力になっていくのかもしれない。(宗像 充)